普遍性の安心感

2017年6月10日

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書店に入ると、SNS関連と哲学の書棚に足が自然に向かう。

哲学など、実用書にもならない、と敬遠されがちだが、私にとっては砂漠にオアシスのような分野である。

文系と理系の先生がこのような会話をしていたことを思い出す。

(お酒が入ったところで)「…でもね、哲学は絵空事のような学問だと思わなかったの?」「ちょっと待った、原子があるのではないの?といったのは、誰だい、デモクリトスだよ。そんな仮定ができたのは哲学者。」「…(沈黙)」

文系の先生曰く、「理系の先生には深いところまで、哲学に生きる人間を理解してもらえない傾向にある。」と。

この会話を一般論にするには、かなり強引と思われるので一旦、検討してみる。

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進路(ここでいう進路とは、研究・職業・ライフスタイルなど広い意味で、向かいたい方向性)を決めるとき、何に身を投じ、集中・没頭できるかを判断材料にする。そのとき、自分の内に秘めた世界観が投影されるのは必然である。

ある特定の分野に進み、専門性が高くなればなるほど個々の研究分野が各々の間で関連性があることに気づき、その前提として学ばなければならないことが無数に出てくる。

例えば、論文を読んでいると、原本を読んで確かめたくなるような感覚が残るというのも、「学びの前提」を欲しているといえる。

そして、読み手がそういう感覚に陥るならば、書き手側になった場合「○○ は ×× である。」といった断定ができなくなるのではないかという不安にかられる。

そこで、数値に裏打ちされた結果や、数列にみられる一定の法則は、こうした不安感を払拭してくれるような感覚を提供する。個人的な意見になるが、哲学も普遍性を掲げている(ような)ところがあるので安心感がある。

普遍性に安心感を求めるというのは、数字の世界も哲学の世界も少し共通したところがあるので「理系と文系が対立する」というのは、違和感が残る。

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共感して心地よいと思うことが、SNSの世界にはあり、そのエネルギーが大きな何かを生み出しているならば

漠然としたものから形にする法則や哲学から生み出されるエネルギーは「普遍性」という「共感」をもって力強く私の心に生き続けると思うこの頃です。

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雪かきを1時間ほどすると、汗をかくほどちょっとした運動になります。これは走ってはいないのですが、心拍数、血圧、カロリーを計測したいと気になっています。

「NIKE+ FuelBand」 発売が楽しみです。

自動車の屋根の雪は、40センチほど積もっていました。明朝までに、さらに積もりそうなので、今日の分は雪かきしておきました。油断して除雪しないとひざが隠れるほど積もりそうです。。。(汗)