花を撮ると過去の憂鬱と一瞬決別できる

2017年6月10日

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部屋に花束。

春の香りで満たされています。

花の命は(特殊な加工をしなければ)短いのでその時間は繊細で切なく、美しい時間になります。

「美しいものを美しいと感じることができなくなることはありますか?」

過去の憂鬱によって健康を害し、心のフィルターで周りのものが見えなくなると理想と現実の視差に苦しくなることがあります。

あることがきっかけで、モノゴコロついたときから写真を撮って何かを残すことが苦しみでした。このため、感動した場面に遭遇すると「とにかく今、目に映るものは目に焼きつけて忘れないように反復する!」クセをつけました。

すると、夢の中、仕事中、待ち時間写真に残したかった場面が現れます。

考えようによっては、過去の余韻に浸るとき、写真を見なくても済むわけですから、便利な思考回路ではあるのですが、ときどき、それが負担になることがあります。

数年前からブログを書くようになり、写真をWEBに載せることが日常化したときから少しずつではありますが、写真を残す行為に対する抵抗が薄れてきました。

当初は更新サイクルが早いから、短期記憶で済めば負担にならないというネガティブな発想でした。ところが、ブログを書いているうちに記事中の言葉や写真の雰囲気を手がかりにそのときの「私」を切り取るようになり、その変化の連続が、今の私につながっていると思い始めてきました。すると、過去を否定できない覚悟めいた気持ちになってきたわけです。これは、決して強制ではなく、根底には緩やかで自由な作用がありました。

そして、この感覚は長年、頭をもたげている「過去の憂鬱」との決別にいたる過程の一つと思うようになりました。

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過去の苦い経験をどうかわすかは、人それぞれです。

友人が、自らとの葛藤から脱出するため、精神医学に方向転換しました。医者になって、ひとかどの人間になるのが最終目的ではなく、彼女が医者になるまでの精神は自分との闘いのようにもみえました。

何かを追究することは、自分探し→安定を求めている?気づかないうちにしている行動かもしれません。解決にいたるアプローチは、一つでないというのも苦悩なのですが、そこが面白い!ともいえます。

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花の命を写真に閉じ込めると、美しさが凝縮されます。撮影のときは、感情が薄くなり光と花の世界に浸れます。

薔薇とチューリップの香りに包まれながら、写真をプリントして残すことを許せた昼下がりでした。