アーネスト・デールのアメリカ経営学〜『経営の核心を考える』

2017年6月10日

スポンサーリンク

ASIN:B000JA6F7I

古い本棚を整理していましたら、アメリカ経営学の本を発見しました。

持ち主の許可により1冊拝借したのは、アーネスト・デール『経営の核心を考える』(日本経営出版会、1968年)。

1967年に「日本経営協会」が著者を招聘した際に出版した本です。(同協会のあゆみによると、8年前の1959年に「P.F.ドラッカー教授を初めて日本に招聘」とありますので、その当時の経営理論ということになります。)「稼働しているコンピューターは世界中に約4万台、このうち約75%までがアメリカにある」(164頁)という箇所や、IBMの急成長について言及している点が時代を感じさせます。

時代を超えても「なるほど」と思うことは、「その企業の目的と、企業を構成している人たちの個人的な目的との間にいろいろな混同がある」(133頁)こと。同じ利益追求でも違った意味を構成員が持っていると、大きな発展を犠牲にする、との指摘があります。

企業目的をある理論におきかえてみるならば、その理論が正しいか否かは、まず理論の基礎となる事実をどのような価値観で選んでいるのかという疑問があり、理論のための、事実の選択になってはいないかという不安があります。

この「事実」について、

著者は179頁で「将来についてのファクトはない、事実はないということである。現象を数量的に扱うといっても、扱いうるのは過去の事象、過去の事実についてのみである。」とあります。事実の集積を分析し、アウトプットした結論は、将来も、確かにそうなるとは限りません。著者は、数学的に分析し解決できない面を「芸術的な面」と表記しています。(原文を確かめられませんでしたので「芸術的」という訳の正誤は未解決。ただし、前出の一文に、北斎の富士山の描き方と企業経営との関連の一節がありました。)

もちろん、数学的な考え方を全否定するわけではなく、長期経営計画の数学的モデルについて言及しています。数学的か芸術的かどちらかを選べということではなく、その中庸が経営管理に必要ということです。わかりやすい例えに「コンピューターでできる仕事の大部分は、紙と鉛筆で時間さえかければできる仕事であるが、コンピューターをどういったところに使い、どういう場合に紙と鉛筆と頭でやるか、その区別、そのバランス、つまり最適圏がわかっていない」(143頁)ことが「理論の誤用」としています。

この「最適圏」について、もやもやっと考えていると、あぁ。。。なぜ私が文系人間になったのか、文系といいつつ、理系の思考で物事を処理していく潔さに憧れ続けているのかを考えずにはいられなくなりました。

***************

先日、古い本棚の持ち主から、おいしいお土産をいただき、いっしょにいただきました。会話を楽しみながらいただくと、瞬時に気持ちは、子供の頃になります。私は、体質上、食べてはいけないものがあるので、和菓子、和食中心になるのですが、いつもそうしたことを気にかけていただき、申し訳なく思っています。いつまでもお元気で、、と願っています。

本は時間を超えて、人と人をつなぎますね。