成果と結果 1Q84

2017年6月10日

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成果と結果

成果と結果。牡丹と薔薇ではありません。

結果という言葉を私が使うと、「成果」と訂正して返してくる人がいました。この他にも、私が使ったほとんどの語彙を訂正して返してきたのです。

その方とは、面識がなく、学歴と職歴だけお互い知っていました。

お見合いではなく、仕事です。

このことがあってから、結果と、成果の違いを分けて話している、あるいは意図的にどちらかを使わないといった内容のインタビュー、文章を見ると、「結果」を多用している人を応援したくなります。

理由は不明です。

自分が携わってきた仕事に対して「成果」というと、本当に成果だったの?それ、自分で決めていいの?目標達成って言えたの?と思うからです。

話せないことを代わりに話してくれる

語彙の訂正は、直接的でわかりやすい。

不思議なことに、私が自分のことを話さなくても、他人が本人の話をし続ける場合もあります。これには、私にも非があります、寡黙ということで。

行動範囲が狭いもので、一般的なことかどうかは、一概に言えませんが、既婚者の女性との会話の共通点は、育児、伴侶、食事なんですね。仕事に関することは、堅苦しくて避けられます。趣味のことも、押し付けがましく思うのか遠慮してあまりされていません。

最後の「食事」ですが、これも、家族が食べたいと言ったからとか、誰かと一緒に食べたからおいしかったという話題です。

私自身はこれらのことを日常で経験していませんので、こちらからは話せません。インターネットを見ると、同じような話題を散見します。

美容院で、お孫さんを持つご婦人も、1時間ほど家庭の話を美容師さんにしていらっしゃいました。美容師さんは、受け身で自分のことは話されてませんでした。ときどき、プライベートなことを、聞かれていて、返答に困っている人もいます。

家庭的であることが信頼、安心の源なのかしらと思わなくもありません。共感しやすいからでしょうか。身近で、わかりやすい話題が家庭なのかもしれませんね。

1Q84

村上春樹 著『1Q84』を読んでいると、主人公の女性が、「経験してないことはわからない」というようなことを言っていました。(ネタバレ防止のため、経験ということにします。)

上記のような、私が話せないことを代わりに話してくれる女性は、『1Q84』をどのように受け止められているのでしょう。この主人公がマイノリティーとして描かれているとしたら、フィクションとして楽しめるのかもしれません。しかし、現実のマイノリティーだとしたら?

自ずと、寡黙になりますね。


1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)


1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)


1Q84〈BOOK3〉10月‐12月〈前編〉 (新潮文庫)

時々、家族とか家庭の代わりになる語彙ってないかしら?と思うのです。成果と結果みたいに如何様に取っても判断がくだされていると思われないような。

1Q84の主人公が見た月のような抽象的な概念で。

今日の食事

ハーブエキスのど飴の後にパスタを食べているのですが、漢方薬のような味がしますね。時間を置いていただくようにします。胃薬の後にも、同じような味がしました。